2012年03月12日
1年後の被災地を見させて貰い・・・
あれから、1年・・・
時が経つのは早いのか!? 遅いのか!?
それは、人それぞれ違うだろうけど、唯一同じ想いがあると思う。ニ度と同じ様な惨劇が起きない様にと・・・
1周年追悼式に参加させて貰いに、いつもボランティアを率先している友人とサーフィン仲間で宮城県山元町へ行って来ました!
雪が降る東北道へさしかかると外気温が2℃になり、被災地では過酷な環境なんだと感じました。
着くと、以前にもお邪魔させて頂いたこの津波から奇跡的に助かった91歳のおじいちゃんの家に。玄関を開けると、そのおじいちゃんが何やら読んでいました。
新聞です。この大震災で亡くなられてしまった方々の名前が記載されており数ページにも及ぶ中から知っている方の名前を探していた様なのです。
そんな時に僕らが訪問してしまったのですが、おじいちゃんは逆に心から嬉しいと訪問を受け入れてくれました。
当時の話を聞いたり、今後の山元町の話しをしたりとで貴重な事を話してくれました。
その後、皆が協力してくれて集まった土嚢袋をボランティアセンターへ届けに。僕は微力な貢献しか出来ませんでしたが、仲間から集まった数は4000枚にも及びました。個人の力だけれども、こうして集まれば大きな力になるのだと・・・
でも、この土嚢袋も物凄くたくさん使うそうでして、あの自然災害の大きさを津波の大きさ、恐ろしさを改めて感じました。実際にボランティアバスが畑に停まっていて多くの方が土を掘り起こす作業をしていました。
14時30分から地元の体育館にて追悼式が行われ、東京の中継を交え行われました。僕達の横の席の遺族の方は、お母さんを無くした子供が居たり・・・前の席では、子供の写真を抱えながら出席されていたりとで言葉になりませんでした。
そして、14時46分の黙とう時に鳴り響くサイレンの音。
地元住民では無い僕が涙を抑える事が出来ませんでしたので、遺族の方々の気持ちを考えると何ともいえない思いになったのは一生忘れません。
今回僕達がこの1周年の追悼式に参加した大きな意味は、野田総理も言っていましたが、
『語り継ぐ事、風化させない事。』
だと強く感じました・・・
実際に被災された方の話を聞き、復興の進まない被災地をこの目で見て、写真を撮り肌で感じる事が出来た事が本当に意味があったと思いました。
『原発収束宣言』
『瓦礫受け入れ反対』
とんでも無い話しですよね!!
どこをどう見て決めたのか??
実際の惨状を見たのか??
言い方が正しいか分かりませんが、
今回の地震は東北で発生しただけであって、日本列島では次に何処で起きてもおかしくない。これが地元だったかも知れません!?
そんな時に僕らは他の人々にどんな想いを抱くでしょうか!? どんな事を願うでしょうか!? どんな協力をして欲しいと思うでしょうか!?
是非とも、瓦礫の受け入れ、継続的な支援をと強く感じました。また、メディア等でも報道が少なくなり現状が伝わりにくくなる事だと思います。頻繁に行ける訳でもありませんので、こうやって行ける機会に多くを感じた事を勝手に書かさせて貰いました。
最後に、おじいちゃんが「こうして来てくれる事が本当に嬉しい!」と笑顔で話してくれた事が一番嬉しかった・・・
いつもボランティアを率先してくれる友人と協力してくれた方々に感謝したいと思います!
また、出来る範囲で皆さんと何か行動出来ればと思っています・・。
時が経つのは早いのか!? 遅いのか!?
それは、人それぞれ違うだろうけど、唯一同じ想いがあると思う。ニ度と同じ様な惨劇が起きない様にと・・・
1周年追悼式に参加させて貰いに、いつもボランティアを率先している友人とサーフィン仲間で宮城県山元町へ行って来ました!
雪が降る東北道へさしかかると外気温が2℃になり、被災地では過酷な環境なんだと感じました。
着くと、以前にもお邪魔させて頂いたこの津波から奇跡的に助かった91歳のおじいちゃんの家に。玄関を開けると、そのおじいちゃんが何やら読んでいました。
新聞です。この大震災で亡くなられてしまった方々の名前が記載されており数ページにも及ぶ中から知っている方の名前を探していた様なのです。
そんな時に僕らが訪問してしまったのですが、おじいちゃんは逆に心から嬉しいと訪問を受け入れてくれました。
当時の話を聞いたり、今後の山元町の話しをしたりとで貴重な事を話してくれました。
その後、皆が協力してくれて集まった土嚢袋をボランティアセンターへ届けに。僕は微力な貢献しか出来ませんでしたが、仲間から集まった数は4000枚にも及びました。個人の力だけれども、こうして集まれば大きな力になるのだと・・・
でも、この土嚢袋も物凄くたくさん使うそうでして、あの自然災害の大きさを津波の大きさ、恐ろしさを改めて感じました。実際にボランティアバスが畑に停まっていて多くの方が土を掘り起こす作業をしていました。
14時30分から地元の体育館にて追悼式が行われ、東京の中継を交え行われました。僕達の横の席の遺族の方は、お母さんを無くした子供が居たり・・・前の席では、子供の写真を抱えながら出席されていたりとで言葉になりませんでした。
そして、14時46分の黙とう時に鳴り響くサイレンの音。
地元住民では無い僕が涙を抑える事が出来ませんでしたので、遺族の方々の気持ちを考えると何ともいえない思いになったのは一生忘れません。
今回僕達がこの1周年の追悼式に参加した大きな意味は、野田総理も言っていましたが、
『語り継ぐ事、風化させない事。』
だと強く感じました・・・
実際に被災された方の話を聞き、復興の進まない被災地をこの目で見て、写真を撮り肌で感じる事が出来た事が本当に意味があったと思いました。
『原発収束宣言』
『瓦礫受け入れ反対』
とんでも無い話しですよね!!
どこをどう見て決めたのか??
実際の惨状を見たのか??
言い方が正しいか分かりませんが、
今回の地震は東北で発生しただけであって、日本列島では次に何処で起きてもおかしくない。これが地元だったかも知れません!?
そんな時に僕らは他の人々にどんな想いを抱くでしょうか!? どんな事を願うでしょうか!? どんな協力をして欲しいと思うでしょうか!?
是非とも、瓦礫の受け入れ、継続的な支援をと強く感じました。また、メディア等でも報道が少なくなり現状が伝わりにくくなる事だと思います。頻繁に行ける訳でもありませんので、こうやって行ける機会に多くを感じた事を勝手に書かさせて貰いました。
最後に、おじいちゃんが「こうして来てくれる事が本当に嬉しい!」と笑顔で話してくれた事が一番嬉しかった・・・
いつもボランティアを率先してくれる友人と協力してくれた方々に感謝したいと思います!
また、出来る範囲で皆さんと何か行動出来ればと思っています・・。
Posted by Ksix at 22:15│Comments(0)